小学校でなぜ英語?―学校英語教育を考える
大津 由紀雄

定価: ¥ 504
販売価格: ¥ 504
人気ランキング: 66905位
おすすめ度:

発売日: 2002-03
発売元: 岩波書店
発送可能時期: 通常24時間以内に発送
「総合的な学習の時間」が導入され、国際理解教育の一環として「英語」を取り入れる公立小学校が出てきている。あくまでも「総合的な学習の時間」の趣旨に則ったもので、本格的な「英語教育」ではないが、“小学校から英語を教える”という話題だけがひとり歩きしてしまったようだ。「英語を身につけさせるには小学校から教えるべきだ」と歓迎する声も少なくない。そんな動きに対し、再考を迫っているのが本書だ。「小学校への英語教育導入に反対」の著者が、なぜ反対するのかを、理由を明確に示しながら分かりやすく論じている。 まず、「国際理解」に大切なのは子どもたちに世界の多様性を教えることであり、安易な英会話の導入は「英語優越主義」を植え付ける危険があると、著者は警鐘を鳴らす。そのうえで、子どもが苦労なく外国語を身につけられるのは、その言語で日常的にコミュニケーションが行われる環境にいる場合であり、“早く始めるほど英語がよく覚えられる”というのは幻想に過ぎないと断言する。 では、小学校では何をすべきなのか。大切なのは言語に対する「意欲」と「感性」を磨くこと。具体的には、母語教育と連携して、言語のおもしろさ、豊かさ、怖さを教えるとともに、言語は人間に平等に与えられたもので優劣はないと気づかせることだという。豊かな英語教育、言語教育のあり方を冷静に考えていくためにも、著者の主張に耳を傾けるべきではないか。(清水英孝)
内容の濃い一冊
ブックレットなので、手軽で一日で読めるものである。しかし、内容は非常に濃く、小学校で英語教育に携わっている人には必読の一冊とお勧めしたい。著者は二人とも早期英語教育に対し消極的な姿勢を持っているが、その根拠の列挙に納得させられてしまう。真の意味での実践的コミュニケーション能力の育成のためには小学校ですることは英語教育ではない、と警鐘を鳴らしている。「なぜ小学校で英語を教えなければならないのか」と考えたことのある人なら、必ず興味深く読める一冊である。
にもかかわらず英語早期教育万能神話は消えない
とにかくわかりやすく,英語を小学校で教える必要はない,いや,教えることは害ばかりだ,と述べたもの。
途中,中途半端な文法談義をはさむものの,それ以外は,小学校での英語教育がなぜ無用なのか,誰でもわかるよう,丁寧に解説している。
小学校英語教育の教育的に利などないことは,背景思想を無視しても,いまや多すぎるほどの実証データからも明々白々。にもかかわらず英語早期教育信奉の弱まるどころか強くなるのは,もう,理屈でどうこうなる話ではないのかもしれない。
巨大資本という圧倒的な力が公教育を動かそうとするとき,理論や事実は対抗手段とならないのかもしれない。本書があまりにも当然のことをあまりにも当然にわざわざ主張しなければならなくなっていて,読んでいて脱力感に打ちひしがれてしまった。
日本人の英語に対する劣等感を払拭するためにも、そして子供たちの将来のためにも
英語の勉強を始める年齢は低ければ低いほどよい。ネイティブなみの発音だって苦労なく身につくし、しち面倒くさい文法項目なんて気にせずとも流暢な英語を話せるようになるはずだ。
…と漠然と考えている大人が多いことでしょう。そんな読者にぜひお勧めなのが本書です。
頁数はわずかに70という手軽さ。論理展開はいたって簡潔明快。日本の公立小学校で英語教育が一斉施行されるのではないかという思い込みをまずただし、その思い込みに振り回されて子供たちに国家規模の実験が行なわれようとしていることを指摘します。その実験によって将来起こりうる問題点、そして実験そのものが明確な目的も、そしてまた満足な道具も持っていないことをつまびらかにしていきます。
「日本人なら誰しも日本語ができる」という考え自体が実は根拠薄弱です。自分の考えを明確に説得力をもって提示することができる日本語の会話能力や、流麗で品位あふれる日本語を書く力は、日本人といえども日々の学習努力に負うところが大きいのです。昨今、インターネットで意味不明かつ時に暴力的なまでにすさんでいる日本語を目にするにつけ、だからこそ英語よりもまず日本語、と思わざるをえません。
最後に一点だけ本書の弱点を指摘しておきます。
著者二人が言語の認知科学や英語教育学を専門としていることが、本書を専門家向けの色合いが濃い本にしてしまったうらみがあります。関係代名詞の制限用法と非制限用法、音素識別能力といった言葉は、小学生の子を持つ平均的保護者には少々とっつきにくいものです。もちろんこのブックレットでも限られた紙幅の中でこうした専門用語を噛み砕いて説明する努力はしていますが、それでもこうした表現が登場した途端に本書は門外漢の読者をあっという間に遠ざける可能性が大きいと思います。ですからそもそもこうした表現を用いなければならなかったのだろうかという疑問は残りました。